7月17日に塩谷信幸先生が亡くなった。93歳だった。1955年に東大医学部をご卒業され、東京米軍病院でインターン後、フルブライト留学生としてアメリカに渡り、外科研修の後に形成外科を修め、米国形成外科専門医資格も取られて日本に帰国された。北里大学形成外科の初代教授となられ、たくさんの弟子たちを育て、上石弘近畿大学形成外科学初代教授、鳥飼勝行横浜市立大学形成外科学初代教授、内沼栄樹北里大学形成外科学教授、大慈弥裕之福岡大学形成外科学教授、武田啓北里大学形成外科学教授など、日本各地の大学に教授を輩出された。日本の形成外科の黎明期を牽引して今や世界に冠たる日本の形成外科を創出した巨星であった。
さらに重要なことは美容医療に造詣が深く、全国に先駆けて本格的な美容医療を北里大学に創設されたということである。大学病院で美容医療を手掛けることが多くなった昨今でも「大学病院の美容医療」と言えば真っ先に北里大学の名前が挙がる。そして、塩谷先生ご自身はもちろんのこと、弟子の大慈弥裕之前福岡大学教授、武田啓前北里大学教授などが日本美容外科学会(JSAPS)の理事長の大任も果たされ、連綿と日本の美容医療の発展に貢献されてきた。また、古山登隆自由が丘クリニック理事長など真っ当な美容医療を担う多くの人材を市中に供給されてきたのである。
93歳と言えば天寿ともいえるだろうが、御父上様は105歳までご活躍されたことを思えば、もう少しご指導いただけなかったかと残念に思ってしまう。先生が強く望まれていた美容医療の正常化(清浄化)に尽力することをお誓いし、ご冥福をお祈りしたい。
寄稿:細川 亙
