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小学生からの美容整形、押しつけられていないか、また本当に安全か?叡啓大学准教授の粥川準二氏に聞く、後半

カレンダー2023.10.23 フォルダーインタビュー

 最近、小学生の二重整形動画が炎上したが、かねて美容医療が小学生からも行われており、それが賛否両論の意見を呼んでいる。個人の自由という考え方がある一方で、ルッキズムの助長、親からの押しつけ、健康への悪影響など問題点も指摘される。現状についてどのように見ると良いのだろうか。

 医療や倫理の著書を持ち、社会学博士、叡啓大学准教授である粥川準二氏に美容整形の若年化を含め、美容医療の人気が過熱する状況をどのように考えるべきか話してもらった。前後半に分けて伝えていく。今回は後半。社会、心理的なプレッシャーが正しいものなのか、また、美容整形は安全なのかという話から、美容整形と社会の問題との関連について掘り下げていく。

叡啓大学准教授の粥川準二氏。(写真/編集部)

叡啓大学准教授の粥川準二氏。(写真/編集部)

粥川準二(かゆかわ・じゅんじ)氏
叡啓大学准教授、社会学者

──ここまで医療技術が「治療」以外の目的、例えば美容の向上のための「エンハンスメント(増強)」に使われるようになり、同時に社会の問題としてとらえられるべきものが、治療の対象として扱われる「医療化」が進んでいるという状況について話してきた。

 そうした中で美容整形のようなエンハンスメントが疑問視されているのはなぜか?また、その背後にある倫理的問題とは何だろうか?

粥川氏: 一つ考えられるのは、人々が「自分の身体を変えたい」と思う理由が、社会や心理的なプレッシャーによるものである場合があって、それが本当に正当なプレッシャーなのかという問題があると思います。

 例えば、多くの人が「一重まぶた」を「二重まぶた」に変えたいと考えるのは、「二重まぶたの方が美しい」という社会的な価値観が存在するからでしょう。

 この価値観によって、当然ながら、一重まぶたの人は、外見に関する社会的、心理的なプレッシャーを感じていると想像できます。

 では、理想とされる外見に合わせようとするこのプレッシャーは、そんなに重く見る必要がありますか、ということです。

 ところが、感じる必要のないプレッシャーであるかもしれないにもかかわらず、そこは見て見ぬふりをして、手術で外見を変えることで個人的に解決しているケースが多いのです。

 「ルッキズム」という考え方も関連します。この言葉は、もともと肥満の人たちを差別するなといった文脈で使われたようですが、太っている人は美しくないという価値観があり、これに対して社会的、心理的なプレッシャーがかかっていると考えられます。

 もしも、こうしたプレッシャーが本来社会的に解決すべき問題であったとしたらどうでしょうか。個人が身体を変えることで解決しようとする「医療化」が行われているとしたら、それは社会の問題がいわば放置され、個人の身体を変える医療の問題に矮小化していると言えます。

 一例を挙げれば、一般的に「多様性が大切」だと言われ、社会的に解決しようとしているはずなのに、実際には外見に対する一定の基準が存在し、その基準から外れることに対するプレッシャーが個人にかかっているわけです。国際的に見ると、人種主義とも関わります。美容整形は白人の顔がデフォルトになっているように見えますから。

 ほかにも問題はあり得ますが、少なくとも、多様性という点について言えば、問題ありと考えられるでしょう。

──確かに、多様性という考えとは逆行している。

粥川氏: はい。肥満については社会、経済的な問題も背景に関わってきます。社会階層が低い人では、肥満の人が多いと知られているからです。

 太っていることが怠惰の象徴で、しかも美しくない、ならばそれを解決するのは脂肪吸引、食欲を抑える薬を与えて、脂肪を減らす──。そうした考えが当たり前のように受け入れられるとすれば、それは問題の本質を見逃していることになります。本来は、生活習慣病につながる肥満という社会的に解決されるべき問題であるのに、個人の責任や選択の問題とされて、そこに医療技術が適用されている状況になっているからです。

 もちろん肥満については、国がさまざまな取り組みをしていますから、単純に問題だと言うつもりはありませんが、裏側にある問題を考えるためのヒントにはなるはずです。

 さらに、医療技術が高額で保険適用外であれば、経済的に余裕のある強者だけが利用でき、低収入の弱者はアクセスできないことになります。

 10代で美容整形を希望する子どもたちを考えると、その費用は親が支払うことが多いでしょう。このため、家庭の経済状況が子供の外見に影響を及ぼす可能性があり、それが社会的な階層の固定化を進める恐れも考えられます。

 このような背景を考えると、エンハンスメントの目的には、深刻な社会問題が潜んでいると考えられます。

──美容整形もその目的を問い直す必要はありそうだ。

粥川氏: さらに、手術や薬によるエンハンスメントには、苦痛やリスクを伴うことも軽視できません。

 エンハンスメントの効果の大きさと副作用や危険性はほぼ比例する傾向があります。したがって、エンハンスメントの目的がたとえ正当であっても、単純に肯定できない第二の理由は、手段によって問題が発生することがあるからです。大きな効果を求めるほど、見合わない負担があり得るのです。

 例えば、美しくなりたいという願望の裏に不当な社会的、心理的なプレッシャーがなかったとしても、その手段としてのエンハンスメントに大きな負担が伴う場合、単純に「はいどうぞ」と進めていくわけにはいきません。私たちは、その人が身体を傷つけずに済むほうが良いと考えているからです。

 逆に言えば、プレッシャーが大きくなく、身体への負担やリスクも小さい場合には、特に問題はなりません。たとえば、化粧や髪型、服装の選択などは、大した問題にならない。グレーゾーンは、ピアスなどでしょうか。

 美容整形となれば、手術の副作用があり、体に負担をかけるものです。トラブルになることもあります。仮に目的に問題がなかったとしても、手段が問題になり得るのです。

 美容整形の経済的側面も考えると、安価な整形と高価な整形が存在し、それぞれの安全性や効果が異なることが予想されます。経済的な制約から安い整形しか選べない人は、リスクを被る可能性が高くなるでしょう。

──実際に美容整形によって合併症や後遺症が起こることはある。

粥川氏: その通りです。美容整形でトラブルが起きている中で、自由診療だからと何もせずに放置してよいわけではないのだろうとも思います。

 そしてエンハンスメントの問題点にはもう一つ考慮すべき側面があります。

 エンハンスメントは、服や靴のような外見の変化ではなく、私たちの心や体の内側から影響を与えるものです。そのため、何らかの成果が出たときに、本人の実力によるものなのか、エンハンスメントによるものかを判断するのが難しくなるのです。

 例えば、海外では、若い人たちが注意欠陥多動症(ADHD)の薬を服用して、集中力を高めて受験するという問題が起きているようです。逆に、エンハンスメントの影響で何らかの事故を起こすケースが考えられます。通常、自分で成し遂げたものについては、本人の功績と考え、逆にマイナスの結果が出たときには、本人の責任ととらえます。ところが、ある種のエンハンスメントがあると、それが分かりにくくなります。

 美容整形の問題に置き換えて考えてみると、容姿は仕事、恋愛、結婚、収入などと関連する可能性があります。エンハンスメントによって「成果」が出る可能性があるわけですが、自分の実力によるものか分からないという問題が起こり得ます。そんなこと全然気にしない、容認できる、というなら良いですが、場合によっては深刻な精神的ダメージを負う心配も拭えません。

 このようにエンハンスメントの問題は――生命倫理学者の堀田義太郎先生の議論を踏まえるならば――大きく3つにまとめられます。①不当な社会的、心理的なプレシャーを無批判に受け入れ、社会問題を置き去りにする問題②目的に見合わない負担を背負う問題③責任や功績の評価が難しくなる問題──※。これらの問題は、美容整形にも共通して考えられることが多いです。

──そうはいっても人によって、美容整形との向き合い方は異なる。

粥川氏: はい。思想や価値観によって考え方が異なってきます。

 いわゆる「リバタリアニズム」は、個人の自由を最優先する考え方。これに基づけば、他人の自由を邪魔しなければ、美容整形も個人の選択として尊重されます。一方で、「リベラリズム」は、社会的な自由のために経済的自由を制約することも考慮する考え方。この視点から見ると、美容整形は必ずしも個人の自由だから良いと言えないかもしれません。

 現代は自由と平等を両立させることが難しい時代です。自由を完全に認めようとすると、弱肉強食の世界になります。逆に平等を重視しすぎると、自由が抑圧されます。

 リバタリアニズムの支持者は美容整形を受け入れる一方、リベラリズムの立場からは、経済状況で子供の人生のチャンスが変わるのは問題だと捉える。どうバランスを取るかは、この問題を考える上では一つの論点として考える必要がありそうです。

 ここまで話したように、美容医療の問題は社会の問題ととらえてよいように見えます。本来社会の問題であるものが個人の責任として押しつけられている状況がないかどうか、そのような傾向があるならば気を付けるべきですし、現状を点検すべきでしょう。

叡啓大学准教授の粥川準二氏。(写真/編集部)

叡啓大学准教授の粥川準二氏。(写真/編集部)

プロフィール

粥川準二(かゆかわ・じゅんじ)氏
叡啓大学准教授、社会学者
フリーランスライター、明治学院大学など非常勤講師を経て、2019年より現職。社会学分野の教員を務めつつ、現代思想、図書新聞などの各種メディアで著述活動を行う。著書は『バイオ化する社会』(青土社、2012)、『ゲノム編集と細胞政治の誕生』(青土社、2018)など。監修書に『曝された生 チェルノブイリ後の生物学的市民』(アドリアナ・ペトリーナ著、森本麻衣子ほか訳、人文書院、2016)がある。博士(社会学)。

参考文献

※堀田義太郎「強く・美しく・賢く・健康に?エンハンスメントと新優生学」、玉井真理子・大谷いづみ編『はじめて出会う生命倫理』、有斐閣アルマ、2011年、p.259-263

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Author

ヒフコNEWS編集長。ステラ・メディックス代表 獣医師/ジャーナリスト。東京大学農学部獣医学課程を卒業後、日本経済新聞社グループの日経BPで「日経メディカル」「日経バイオテク」「日経ビジネス」の編集者、記者を務めた後、医療ポータルサイト最大手のエムスリーなどを経て、2017年にステラ・メディックス設立。医学会や研究会での講演活動のほか、報道メディアやYouTube『ステラチャンネル』などでも継続的にヘルスケア関連情報の執筆や情報発信を続けている。獣医師の資格を保有しており、専門性の高い情報にも対応できる。

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